よもやま話

「よもやま話」のページの主旨は、CivilChoir のメンバーによる話題提供です。
来訪者の皆様に楽しんでいただけるようなページになることを願っています。
(2014/06/26 管理人)


投稿5 (2017/08/22)
 蛇祭り行進 A.Miyaji (Cond.)
   
 草野心平の処女詩集「第百階級」の中の詩です。岩波文庫、草野心平詩集(入沢康夫編)に収録されています。第百階級とは最下層の階級である蛙を意味しており、昭和3年、心平の新婚時代、困窮生活の中で発表されました。心平自身の「あとがき」が素晴らしいので一部を引用します。

‥‥
 そしてゲリゲというかえるは蛇に食われて死んでいくとき人間の言葉に翻訳したら恐らく次のような言葉を仲間に送った。

 お友達や仲間の諸君、僕が殺されるのを悲しんで逃げろと言って下すったのをどうもありがとう。ぼくを殺すのは誰でもない僕の意地です。
 悲しくはない。悲しいことはなぜ殺し合いがあるかということです。それも仕方ないでしょう。僕たちだっていろんなものを食べます。自然の暴威は当たり前です。
 悲しいのはそれではない。なぜおんなじ兄弟たちなかまたちが殺し合うのだということです。霊長の人間も人間同士で殺し合うではありませんか。
 諸君 ぼくたちは幸福です。ぼくたちは誰彼の差別なく助け合い歌いあいます。これ以上のことがあるでしょうか。それを思うと僕はうれしい。僕は死んでゆきます。悲しくはありません。
 さようなら。万歳して下さい。
‥‥

 昭和29年、戦後の混乱から抜け出して日本の合唱文化が芽生え始めた頃、気鋭の作曲家清瀬保二が当時まだ珍しかった男声合唱曲として作曲しました。

(委嘱初演:東京男声合唱団 指揮 石丸 寛)



投稿4 (2017/02/08)
 新春の演奏会 H.Sato (T2)
   
 2017年の松飾りがやっと外れた頃、新春の演奏会を開催した。 男声合唱団シヴィル・クワイアでは長年独自の演奏会を持ちたいという願望があったが、 構想三年、やっと実現に至った。 ただ、この団だけでは力不足は否めず、関係の深い混声合唱団アールコール・アンリミテッドと女声合唱団ピアチェーヴォレに声を掛け、 三団体合同で客を呼ぼうという仕掛けで開催にこぎつけた。 全部で五つのステージのうち、我が団が二ステージ、友団がそれぞれ一ステージずつ得意の唄を披露し、 最後の舞台では三つの団が五十名ほどの混声合唱団として満席の聴衆の前で溶け合った。
 開催に向け、三団体の息を合わせるための準備会合、演奏会場の確保、演奏曲の決定、 チラシ・チケット・プログラムの印刷、合同練習の設定、当日会場や舞台の設定などやるべきことは多かった。 一番気を使ったのは演奏会後の打ち上会場準備だった。
 演奏の出来について振り返ればそれぞれの団はいろんな想いをしたであろうが、 当初掲げた、皆で楽しく歌いたい、という目標は充分達成できたのではなかったか。 打ち上げは各団の団員が入り乱れての歌合戦と化しつつ予定時刻を大幅に過ぎて続いた。
もちろん私もおおいに歌った。


《俳句  詠み人:佐藤白塵》

    しわぶきのをさまりて唄始まりぬ

    初舞台かろきすみれのはなの唄

    新春の指揮棒踊り唄応ふ

    ひざかけの聴衆顔をほころばす

    裏方の背に終曲の春日差す





投稿3 (2015/07/15)
 「鳥の歌 」の原歌詞など Y.Inoue (T1)

 シビルクワイアは、IAPH(国際港湾協会)日本セミナーの懇親会でカタルーニャ民謡の「鳥の歌」を歌いました(2015/7/7)。 新しく就任されたIAPHの会長さんがカタルーニャのご出身だからです。
 当初練習していた北川フラム作詞の歌詞は、なんとなく歌いずらく、違和感を感じましたので、スキャットで歌いました。
 その後、原曲はどのような歌詞だったのかが話題になりました。 井上雄さんが調べてメールで報告していただいたのですが、宮地さんから、将来この歌を歌っていくには貴重な資料だから、「よもやま話」に載せてほしいとの話がありましたので、該当部分をそのまま下に載せておきました。
(管理人)

〈以下が本文〉

「鳥の歌」原曲の歌詞など

 IAPHで演奏したカタルーニャ民謡の鳥の歌ですが、 もともとはキリストの生誕を鳥が喜び祝うクリスマスソングです。
 パブロ・カザルスは名編曲家でもあってこの曲をチェロ演奏用に編曲し、 これが名演奏とともに世界的に有名になったものです。
 なぜ歌詞のない鳥の歌がこれほど有名なのか? どうして平和を願う象徴的な曲なのか? このことについてはエピソードも有名なようですので、 敢えてここでは触れません。

 原曲はどのような歌詞だったのかを今更ながらも見てみました。

 カタルーニャ語では

Al veure despuntar
el major lluminar
en la nit mes ditxosa,
els ocellets cantant,
a festejar-lo van
amb sa veu melindrosa.
L’aliga imperial
se’n vola cel adalt,
cantant amb melodia,
dient: “Jesus es nat,
per treure’ns de pecat
i dar-nos alegria”.

Repon-li lo pardal:
“Avui, nit de Nadal,
es nit de gran contento!”
El verdum i el lluer
diuen cantant, tambe :
“Oh, quina alegria sento!”
Cantava el passarell:
“Oh, que hermos i que bell
es l’infant de Maria!”
I li respon el tord :
“Vencuda n’es la mort,
ja naix la vida mia !”

Refila el rossinyol:
“Es mes bonic que el sol
mes brillant que una estrella!”
La cotxa i el bitxac
festegen al manyac
i a sa Mare donzella.

という歌詞で翻訳サイトで翻訳すると、おおよその意味は読み取れます。
 els ocellets cantant 〈鳥が歌って〉 という歌詞が出てきて、aliga 〈ワシ〉 pardal 〈スズメ〉 verdum 〈アオカワラヒワ〉 lluer 〈マヒワ〉 tord 〈つぐみ〉 rossinyol 〈サヨナキドリ〉 bitxac 〈ノビタキ〉 といろんな鳥が出てきてキリストの生誕を祝いますが、カザルスの言葉の
   「鳥がPeace, Peace, Peaceと鳴く」
というところが もとの歌詞に出てくるものと思っていましたが、 それは私の思い込みだったようです。
 今回スキャットで演奏しましたが、 今後も歌う曲の候補となっていますので、 そのまま行くのか、あるいは、どのような歌詞(日本語の)がついていくのか楽しみであります。




投稿2 (2015/04/23)
 「鉾をおさめて」の周辺 M.Wada (B1)

 Civil Choir は、最近「鉾をおさめて」を練習しています。下は、この歌の背景等について、B1の和田さんが調査・考察されたものです。  ご本人の話では、ほんのちょっと調べただけの、いわば序の口だとのことですが、この歌のイメージ作りに有効ですし、話題提供の意味もあって、ここ「よもやま話」に載せることになったものです。
 調査結果だけでなく、ご本人が感じられた疑問なども書かれていますが、そのまま載せております。
(管理人)

〈以下が本文〉

「鉾をおさめて」について

1、 時代

 本歌は、昭和3年7月に時雨音羽作詞、中山晋平作曲で、テノール歌手藤原義江が歌って世に出た。〈因みに、同年2月に、このトリオで「出船の港」が出されている〉
 (注:「出船」は「今宵出船かお名残お惜しや・・・」で始まる歌。大正7年に小雪が舞う秋田県の能代港に郷愁を覚えて、勝田香月が作詞した。 「出船の港」は「ドンとドンとドンと波乗り超えて・・・」で始まる歌。時雨の故郷である利尻島に歌碑がある。1番の歌詞に鯨も登場)

2、 我が国の捕鯨の歴史

・我が国の捕鯨の歴史は縄文時代までさかのぼる。
・鯨の骨を用いた矢尻が出土されたり、ホコを撃ち込まれた鯨が描かれた壺なども出土
・万葉集に鯨は「いなさ」、または「いさ」と称され、「いなさとり」は海にかから枕詞となっている。
・当時は、「突き取り式」と称し、ホコ、ヤス、ヤリなどを使用して、鯨を突いていた。
・17Cになり、「網取り式」と称する鯨用の網が考案され、ホコと網を併用する「網掛け突き取り捕鯨が一般的となる。
・明治になりアメリカで開発された捕鯨銃(ボウラム銃)が使用されるが、ホコに爆薬が仕込まれているのが一般的であったようだ。
・時雨は大正末期に同詞を作ったが、その時代は既に捕鯨銃が使用されていたものの、銃は「ホコ」と呼ばれていたので、彼は心象風景、すなわち想像でホコの詞を作ったのではないと思われる。

3、「ホコ」とは

 ほこは
  a「鉾」、
  b「矛」、
の2種の漢字がある。
 同歌は「鉾をおさめて」と、aが使用されているが、捕鯨に使用される場合はbが用いられる場合が多い。また、良く知られているように「韓非子」が出典の「矛盾」のほこはbである。
 この2つに差異はあるのか?
 また、やり(槍)との違いは?
 調べた範囲では正確な差異は判らなかったが、一般的な「ほこ」の表現は「矛」であり、「槍」とは機能的に殆ど差がない(解説によっては、機能的な差が若干ある?)
 また「鉾」は矛を祭祀用として使用する場合に使われる?

4、「鉾をおさめて」

 (タイトルでは無く、歌詞の冒頭)
 2通りの解釈ができるのでは?
A 捕鯨銃で鯨を仕留めて凱旋するので、捕鯨銃の「ほこ」をおさめる、すなわち、片づける。
 この場合は「おさめる」は「納める」?
B 「ほこをおさめる」(この慣用句は「矛」が用いられる)と言われるように、鯨と死闘の末に仕留めたので、戦いをやめる、すなわち終結する。
 この場合の「おさめる」は「収める」?
 時雨の詞は「おさめる」と漢字でないので、ABどちらの解釈が相応しいだろうか?

5、「日の丸上げて」

 大正時代の捕鯨船が日の丸、すなわ日章旗を掲げていたであろうか?
 周知のように、日の丸が正式に国旗として認定されたのは、「国旗国歌法」が公布された平成11年である。
 明治3年、太政官布告により、陸軍御国旗として旭日旗が定められたが、所謂日章旗の扱いは、政治的背景も絡み諸説あるようだ。

 船舶に掲げられたものとしては、 
寛永期の幕府船団に日の丸の幟
幕府の年貢米を輸送する御城米廻船に朱の丸の幟
薩摩藩に服属していた琉球王国の中国への進貢船に日章旗
 などがあるが、漁船に日章旗を掲げた事例は見つからない。

 この詞の「日の丸」とは大漁旗と解したい。
 大漁旗は、海上からも目立つように、さらに縁起を担ぐ目的で派手な色彩、大胆な構図で描かれることが多い。
 船名、祝大漁などの文字、日の出、魚、恵比寿、宝船などの絵柄が多いとされる。
 「日の丸」とは日の出(旭日旗に近いかもしれない)が描かれた大漁旗のことであろう。

6、時間は?

 1番に「夜あけの風が」とあり、早朝と思われる。
 それを受けて2番で「陽は舞いあがる」とあるので、この陽は朝日と推定される。
 「日の丸上げて」の「大漁旗の日の出」と呼応する。
 因みに「鉾をおさめて」を当初発表した際のタイトルは「朝日をあびて」であった。
 
7、場所は(どこの湊か)?

 「鉾をおさめて」は比較的有名な歌故、時雨がイメージした湊があると思い、調べたが、特定の湊は見つからなかった(後述で、茨城県の大洗海岸?)。

 時雨音羽は、明治42年、北海道利尻島生まれで、新湊小学校、沓形小学校高等科卒業、沓形村役場(いずれも利尻島)に勤務後、上京。
 日本大学大法科を卒業して、大蔵省主税局織物課に勤務後、作詞、映画や歌舞伎の脚本などを手掛けたようだが、捕鯨との接点は判らない。

 3番に「縄のたすきで故郷のおどり」とある。
 縄で作られた「たすき」は、必ずしも多くないと思われ、これがヒントになるかもと調べたが、特定できなかった。

 現在、捕鯨基地として農水大臣より許可された鯨の解体処理場は、北海道の網走、函館、宮城県の石巻鮎川、千葉県南房総市和田、和歌山県大地町の5か所であるが、時雨が作った大正時代は、日本各地で水揚げされていたものと考えられる。

 時雨の著書「出船の港と利尻島」の中で、「鉾をおさめて」について「この歌は鯨とりの歌だが、人々の青春から故郷の母に捧げる歌でもある。私はこの世で一番美しいものは母の愛だと思っている。どんなに世の中が変わっても、母の愛の美しさは変わらない」と記している。
 4番の最終フレーズに「母へ 港へ みやげの鯨」とあり、この母がやや異質な感があったが、上記の説明で納得した。

 信長貴富編曲「無伴奏男声合唱による日本名歌集ノスタルジア」解説に、「鉾をおさめて」に関し、大蔵省勤務時にキング誌から「元気のいい作品」を依頼され、茨城県大洗海岸へ出かけてイメージをふくらませたと記されている。
 また故郷の利尻島で大きな鯨を見た思い出が生かされているとも記述されている。

 利尻町のHPを検索すると、故郷の偉人として時雨を取り上げているが、「鯨が開いた鎖国の扉」として嘉永元年にアメリカ人のラナルド・マクドナルドが捕鯨船に乗り込み、鎖国下の利尻島に上陸したことが記されている。
 時雨は鯨とは縁があったことが伺える。
 さらに同町のHPの観光案内に「神磯の鳥居」は「朝日が美しい」と記されている。




投稿1 (2014/06/23)
 新宿合唱祭(2013)への参加と作句 H.Sato (T2)
   
 シヴィルクワイアは土木構造物や社会インフラ、美しい国土などをテーマにした古今東西の歌を歌い続けている。
 その活動のひとつの柱に据えているのが、例年の新宿区の合唱祭である。吾が合唱団も新しいレパートリーを引っ提げて参加する。合唱祭のネーミングは、「初夏に唄おう」なのだが、梅雨の最中に歌うことになる。

 今年(2013年)は司馬遼太郎原作のNHKドラマ、明治期の日本人の国づくりを見事に描いた「坂の上の雲」の主題歌「スタンドアロン」を歌うことにした。
 舞台は新宿文化センター、2000席を擁する大ホールであり、音響環境に優れた東京の代表的音楽ホールのひとつである。
 40を超す数の合唱団がそれぞれの気持ちを込めて歌を発表する場でもあり、出番前にはおのずと緊張の度合いも高まる。

 朝から前日のリハーサル時の録音で最終チェック。今回は去年と違って暗譜で挑戦する。
 歌詞が時々頭から抜け出してしまう。舞台の上で歌詞がでてこなかったら、などと心配しだすともうそれだけで焦ってしまう。
 意を決して着替えをして家を出る。今年は空梅雨のおかげで爽やかな天気での出陣となった。
 地下鉄の駅への道端に紫陽花。去年もそうだったように、今年もまた、後ろから私の背中を押してくれた。


《俳句  詠み人:佐藤白塵》

    ☆ 今年また 紫陽花咲けば 合唱祭

    ☆ 汗拭きて 舞台下手の 深呼吸